2011年02月13日

梅の樹の命

このところ寒い日が続くので、朝の散歩はしばらく延期していた。トイレ

今日(2月12日)は代休として、パティオ伏見を臨時休業にしていた。
予想以上に暖かい!晴れ 晴れ 晴れ
天気予報と違い、朝から陽射しが身にほのぼのと、暖かくすごしやすい日になった。

朝風呂に入ってから、夫婦で近くを散歩することにした。トイレ
いつものコースで、道沿いに山茶花の垣根越しに、ささやかではあるが梅の樹林がある。トイレ

きょうは「梅の老木」が一本、まるで盆栽のように、雅に気高く花を控えめにつけていた。
その向こうには、梅の若木が、群生している。

老木は、幹は太いが途中で折れていたり、樹形もいびつになっていたりしている。
一方で若木は、すくすくと苦労もなく成長してきたごとく、すんなりと伸びている。

老木の存在感たるや、スゴイ。私も妻も、目をひきつけられた。
命ある限り、小さな花をさかせて、眺める人を慰めてくれているなあ。

人の一生も似たようなものだ、と連想が浮かんだ。トイレ

「もう年だから」と否定的にいう人がいるが、どうも聞いていてスッキリしない。

年令に応じた役割や長所があるのではないかな。
自分は、「死ぬ寸前まで、無限の成長をしたい」と欲張りである。

幸い「脳」の一部である「海馬」もずっと細胞を作り続けるそうだ。

若い時期と同じでありたいと願う気持ちは、自分にも一部にあるが、
それは例えば、いつまでも青年社員でありたいというのと同じで、
期待はずれで終わるだろう。

なぜなら、自分が成長していけば、管理職位を求めたり、高給を求めだすものだ。
いつまでも青年社員で辛抱できるわけがない。

人それぞれの力量や年令、実績に応じて変わっていくのが妥当じゃないだろうかな。トイレ

   (syuji)













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2011年02月02日

絵手紙

      写真:紀子ー2011賀状.JPG

もうお正月が過ぎて1カ月になりますが 

年賀状についての思いを記してみたくなりました。

元旦に届く年賀状は大げさですが私の人生の中で特別な物です。

多くは何年も何十年も会ってない人達からですが

楽しみにしていた賀状が届くと嬉しくまたお元気でよかったと

安心します。

私はせっかく絵画を習っているのだからと

毎年つたない絵手紙でのごあいさつをする事にしています。

今年は12月にポットに植えたジュリアンの花を描いてみました。

(noriko)
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2010年12月18日

失敗や過ちは人生につきもの。

歌舞伎俳優の市川海老蔵氏が、トラブッてかなりの負傷をしました。病院

彼自身が記者会見で、「自分自身のおごりのせい」と発言していました。
この日の一連の発言が、聞く人の胸を打つ内容であったとは思いません。
むしろ自己防衛的な発言に終始しており、「自分自身のおごりのせい」という
発言にどう繋がるのか、疑問の残る会見であったように思います。exclamation&question

単に、父親の市川団十郎丈がいわれたように「「会見をキャンセルして、夜に出掛けたのは大変失礼。」だけであるならば、無期限の活動停止は厳罰過ぎることになってしまいます。

もっと彼の行動の中に、過去のいろいろなことを含めて、責任を問われる事柄が内在しているに
違いないように推察してしまいますね。

私は、誰しも「完璧な青年時代を過ごす」なんてことはできないと思います。
いろんな失敗や間違いをするもんです、永い間にはね。

まして、何かに挑戦しようと努力したり、必死で無理を克服しようとがんばったりすると
余計に問題が発生する原因になりやすいですね。ふらふら

じっと無為にすごしていれば、問題に遭遇はしません。あるいは問題に気がつかないでいてしまうことになるでしょう。わーい(嬉しい顔)

普通の仕事におきかえても、働けば働くほど、課題や問題が出てくるものです。
それを恐れていたら、いい仕事は出来ないですね。

いいかえると、課題や問題に遭遇するたびに、どう解決するか・どう乗り越えたらいいかを
考えるチャンスに恵まれるんですね。
ここから人は成長もできるんじゃないですか。

間違えたり、失敗したら率直に認め、その原因をじっくり考えることが成長要因なんですね。
ごまかしたり、真剣に壁に全力でぶちあたらないと、勉強にはならないみたいですね。

また自分が成長していると、過去には良しとして済ましたことが、「間違っていた」とか
「不十分だった」と思い改めることだって、沢山あります。

また、そうでなければ成長ストップですよ。

失敗や反省は、その中身や大きさによって、対応が問われるのは仕方がないことです。
それを恐れたら、「失敗の上塗り」になります。

私自身も、上塗りをしたことも沢山有りますね。自分がかわいいとか、恥ずかしいので、どうしてもカッコ付けしたくなりますよ。

これを良しとすると、居直りになりますね。
どこまで素直になれるか、でしょうか。そうすれば復活を大いに期待したいです。

私は彼の才能を惜しむがゆえに、こういうのではありません。
才能の有無に関係なく、ひとには平等に回復のチャンスを与えたいですね。
  
    (syuji)

ここでおちゃらけを一つ。

「ととのいました。」

「市川海老蔵とかけて  日本国国民ととく」  
  そのこころは 
「どちらも六法が大切。」
    お後がよろしいようで・・。






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2010年12月12日

ノーベル平和賞

今年のノーベル平和賞で、愉快でない紛争がおこっている。

独裁的な国は、えてしてこのような圧力をかけてくる。
国内に言論の自由を認めない国は、恐ろしい。

国家に限らず、自治体・企業・団体あるいは家庭におきかえても、同じだと思う。

平たく言えば、人それぞれに間違うこともある。多様な意見の交換によって、その過ちをただす機会にも、あるいはいっそう練磨された考えになる可能性もあるのだ。

また山に登る道は、一つとは限らない。他の道を選択する自由を認めないのは、おかしかろう。

国家レベルの「独裁や独善」は、人類の長い歴史をへた今でさえ多数見受けられるが、本当に残念だが「流血」なくしての解決は難しそうだ。
       (syuji)
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2010年11月05日

友をおくる旅

私が以前に勤務していた会社の新入社員以来の同期が、「10月末に亡くなった。11月2日・3日と通夜・告別式がある」という連絡が入った。

私たちの同期は、全員では305名ほどが同期で入社したが、そのうちある区分の仲間20名強は、高度成長下にあって、「よく遊び・よく飲み・よく遊び・・」と、頻繁に熱海や葉山にある会社の保養所などにたむろした仲間たちであった。彼もその一人であった。

通夜・告別式は関東の松戸市。私は仕事の都合で、11月3日(祝日)の告別式に参列を決めた。

(1)夜行バスは初体験ーこれはなかなか面白かった。 
 
 前日の2日の夜も仕事があったので、体験も兼ね思い切って、夜行バスで行くことにした。
 名古屋駅西を午後11時50分発・東京駅着午前6時30分という旅程だ。

 バスタイプは3列独立式で、トイレ付の高速ライナー。定員は28名。料金は片道4,400円。
 もっと安いのもあるが、まずはこれに決めた。帰りは「のぞみ用の切符」を金券ショップで買っておいたが、9,600円なので、新幹線の半値以下だ。

 集合場所にいくと、休日前のせいか、旅行企画各社の係員も沢山なら、お客と思われる若い連中が「うじゃうじゃ・・」いるではないか。
私のような年令のものは、居なかったと思う。

 予定のバスに乗車。もちろん指定席制だ。各席は通路に接し、結構快適だ。客層は30代以下,高校生までと いった感じ。
 かまうもんか。こちとらも、いなせな兄さんだぜ。

 深夜発のせいだろう。窓にはカーテンが完全に下ろしてあり、運転席のすぐ後ろもカーテンで完全にしきられた。外は何も見られない。まるで護送車みたいだ。(勿論、まだ乗ったことはないよ。)
はやばやと「寝なさい」といった感じ。
 でも結果的には、それでよかったな。すぐに眠りに入った。
 
 トイレはついているが、東京までの間、2回(牧の原SA,海老名SA)各30分の休憩。
 私もうまくそのつど目が醒めて、降車してSA内を見学に歩いた。

 沢山の車・車・車、大勢の人・人・人・・・。橙色の照明にかがやくSAは、深夜食を楽しむ姿も映し出し、 普段と違って、何だか都会的な風景であった。

 SAのトイレも清潔になっている。男子トイレにも、オムツ替え用や更衣用の個室まであった。
 なかなかのすぐれものだった。

 丸の内に着いたのは、午前6時15分頃。祝日の早朝のせいだろう。通勤客の姿は皆無。
 丸の内の、大きなビル正面のコンビニの前で、若い男が3人ぐらい、座り込んでカップラーメンを食べ散らかしている。
 多分、平日ならこういう風景は、見られないかもしれないな。大都会の隙間の情景かな。

 丸の内界隈に来たのは何年ぶりだろう。10年以上は経っているな。
 空がずいぶん狭い。あたりも暗い。高層ビルが林立しているせいだ。

 空の高さも違う。わが四日市なら、この時間なら、空は2階建て住居の上に有る。
 遠くを見れば、ほとんど身長目線だ。

(2)友よ、さようなら

 斎場までの所要時間も自信が持てないし、時間をつぶすにも丸の内では無理みたいなので、思い切って斎場に 直行した。
 途中、朝食をおえて斎場に着いたのは、それでも午前7時50分。

 たまたま斎場の係員が、遺体を安置してある場所を開錠にきたので、ゆっくり友人に面会できた。

 やはり往時よりも大分やせてはいた。病気のせいでもあろう。
 彼の家にも遊びに行ったことなどいろんなことが思い出される。
 20名強のなかで、3番目の早逝である。

 ご夫婦にはお子さんがなかったので、在京の同期の連中が、前夜より葬儀のお手伝いをしていてくれた。
 (あとでは火葬場にまで数人が行ってくれた。)

 奥さんが「喪主」として、気丈に振舞っておられたので、こころひそかに安堵した。
 しかし、式事もすすみ、花々をお棺の中に入れた頃より、徐々に想いがつのってきた。
 参列の方々も、ハンカチを眼に当てる光景が見られるようになってきた。

 そして奥さんが、故人の耳元で、確か「幸せでしたよ」と小声でおっしゃったように聞こえた。
 この言葉は、本当に「男冥利につきる」ことばである。 

 お二人で歩まれた歴史は、約40年ほどだろうが、そういえる女性も・そういってもらえる男性も素晴らしい。この言葉を聴いた途端、私も涙が止まらなくなった。

 自分自身を省みると、私の両親の看病時でも「感謝の言葉」を言った記憶はない。いや多分言って ないだろう。
いまでも時々、後悔のネタとして浮かんでくるくらいだもの。
 亡くなる数年前から同居していた、妻の母に対しても後悔のネタはある。自分の生涯は、「後悔」を撒き散らして歩いてきたようなものだ。

 さて私たち夫婦のばあい、どうなるか・・・・。
    
     (syuji)


 


 
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2010年10月23日

国土を守る。

尖閣諸島をめぐって、中国との紛糾が続いている。

私は詳しい歴史的経緯は知らないが、日本の支配下にある現状と、日本という国のやり方を勘案してみて、
日本の国土であるのは間違いないようだ。過去に、日本による占領行為や戦闘行為が有ったとも聞かない。

現時点において、貿易上の影響などを考えて、遠慮したり・主張を控えるのは、間違ったやり方だと思う。

あるべき対応方針は、次のようなことになるのではないか。

 1.国土は絶対に譲らない。

 2.経済的な便益を最優先してはならない。
   いかに巨大市場であっても、無法な行動に従うのは駄目。
   最悪の場合は、経済的な不利益をこうむることがあっても、耐え忍んで国土を守る。
   この姿勢こそ、わが国の国際的評価を高める方策である。

 3.ふだんから、一国に偏った交際はしない。少しでも自立性を高めるよう、各種の国内産業振興政策を
   展開する。国民自身も、「バイ国内生産品」を実行する。
   各企業も、相手国の国情をよく調査のうえで、慎重な交易関係を築く要がある。

 4.ヒステリックな対応はしない。第一ステップとしては、国際世論を味方につける行動をする。
   相手が武力行使をすれば、そのときは日本も軍事力強化を含めた行動の是非の検討・議論が
   必要になるかもしれない。その覚悟は心中に持っているべきであろう。
   しかしいま中国が、そんな行動に出るとは思えない。そんなことを声高に議論すべき
   ではない。 

チリの落盤事故での救助活動は、世界の注目を一身に集めた。まさに世界は感動で震えたのではないか。
利害の反しない事柄であれば、世界はヒューマニストの集団であるようにみえるが、紛争を無くすることは本当に難しい。
北朝鮮の存在も・・・・。
    
        (syuji)





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2010年09月04日

愛はみえる

昨夜見たテレビドラマに感動し勇気をもらった気がしました。

”愛はみえるー全盲夫婦に宿った小さな命”というタイトルです。


音楽に曲作りに生きがいを見出そうとする上戸綾さん扮する

主人公はOLとして働いており、全盲という障害をもちながら

自活しています。


自身で作詞作曲した曲でCDデヴューを果たしたいという夢も

持っています。


生活の中や夢に到達する過程でも困難は色々あるのですが、

音楽グループで知り合った1人の男性と恋をし結婚をします。

彼もまた全盲なのですが、生活の苦労を共に乗り越えながら

幸せに暮らしていきます。


間もなく妻となった彼女は妊娠します。

彼女達は生活力旺盛で次々と幸せを掴み取っていくのですが

それぞれの両親や周囲の人達の協力は必至で、また反面

心配のあまりの干渉や中傷もあって当然という事になります。


子供を産むか産まないか等決断をせまられるのですが結局

勇気をもって産むと決めるのです。


結末はハッピーエンドですが私が思い知らされたのは

彼等の逞しい生活力、勇気ある決断、そして人間としての

誇りの数々です。


彼女はかつて突き放されたと思っていた母親に

”これまでに自分が不幸だと思ったことなどない。

私を産んでくれて有難う” と言っています。


さわやかな感動をくれたドラマでした。

私達も人間の幸せの原点をしっかりと踏まえなければ

ならないと思いました。 

まずは見栄や世間体など吹き飛ばさなければならないと

思った次第です。              のりこ
posted by okumura at 22:39 | TrackBack(0) | 心の響き

2010年08月05日

戦争は生傷として、今も続いている。

いつも8月になると、「太平洋戦争や原子爆弾」について、新聞やテレビで報道される。

戦争自体は数年にわたる悲劇であったが、第一に8月15日が終戦記念日であること、第2に広島・長崎に原子爆弾が投下されたのも8月であることに因ると思われる。

本当に8月は、身を焼きつくした原爆の閃光、あるいは焼夷弾などによる大空襲で発生した火災の灼熱地獄。つらいが思い起こすには適した時期である。

日本はここまで復興をなしとげたので、今の若い人たちは、戦争の悲惨さをしらず、遠い昔の記録映画程度にしか考えていない人が多いだろう。

だが決してそんな生易しいものではない。

私の妻の父は、学校の先生をしていたが、妻が4歳の時に軍から召集をうけ、満州に派遣され、終戦後にはソ連の一方的な政策によってシベリアに抑留・強制労働に使役され、ついに亡くなったらしい。(実際にはいまだに生死も不明である。)

私の妻は4歳で父親を奪われたわけである。

大阪にあった家財も空襲で焼き尽くされ、母親と一緒につらい思いを体験してきた。

父親も異境の地で、どんな思いで死の時を迎えたのか、想像するだにつらい事柄である。(まったくの偶然であるが、義父は私の出身大学の先輩である。)

世の中にどれだけ多くの人たちが、このような・或いはこれ以上の苦しみを体験しているか。

終わった話ではなく、いまなお身近なところにも続いている悲劇である。

 戦争は敗者だけではなく、勝者も大きな傷を負っているに違いない。それなのに、世界の各所で今なお戦争が起こっている。
日本でも徐々に戦争に向かって行きはしないか、監視が必要である。

さらには戦争根絶あるいは戦争防止に向かうための方策やステップを、具体的に明らかにし、国民的な議論を盛んにすることが必要ではないだろうか。
(syuji)




posted by okumura at 01:54 | TrackBack(0) | 心の響き

2010年07月24日

拉致こそは鬼の所行!

最近の国家の犯罪のなかで、私が「最も陰湿で過酷な犯罪」と思うのは「拉致」です。

北朝鮮により、多くの日本人が拉致され、今なお帰国できない状態にあります。
被害者は日本だけではなく、韓国その他にも及んでいるようです。

たとえば横田めぐみさんの場合、中学生の時に拉致されました。
それから何年経ったのだろうか。

私はもし自分の家族が拉致され、あのような状態に置かれたとしたら、恐らく狂わんばかりになるでしょう。

行けるものなら、その国へ行って、大きな声で探し回りたいと思うに違いありません。

今の被害者の家族の方々は、北朝鮮の国情から、それもできずにただ待たされているのです。
どれだけつらいことか。察するに余りあることでしょう。

そして、もっとつらいのは、拉致された人の苦しみでしょう。

愛する家族との絆をたちきられ、その国の利益のために奉仕させられる、そのつらさよ。

父よ、母よ、助けてほしい、・・・・。
今もその声が聞こえてきます。どれだけ苦しい思いをさせられたか。想像を超えるものが有ります。

孤独な本人の苦しみ。家族のやるせなく、もどかしい想い。

国民を自国の領土から拉致されても、何もできずにいた政府。
頼るべきものも無く、ひたすら訴えてきた人たちの悲しみ。

拉致国家こそ、本当に許せない国家権力ですね。
  (syuji)




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2010年06月19日

祇園祭

♪ コンコンチキチン コンチキチン ♪
♪ コンコンチキチン コンチキチン ♪

京の祇園祭が近づいてくると、ときどきこの音がいつのまにか脳裏にうかんでくる。

京都の都心に生まれ育った私は、お囃子の稽古の音を聞き始めて、祭りが近いのを感じ、大通りに山鉾の組み立てが始まって、いよいよ血が騒ぎ始めたものだった。

確か室町時代から伝わるゴブラン織などに飾られた絢爛な鉾は、大きくみごたえがあるが、昼間におこなわれる山鉾の巡行よりも、決まって7月16日「宵山」の夜に、山・鉾のある路地や大通りを、そぞろ歩く単調な夜が、大好きだった。

葵祭や時代祭は見物型の祭りであるが、祇園祭・特に宵山は、そのエリアに身を置くことによって、一体感を感じさせる参加型の祭りのように感じた。


各地の祭りに見られる勇壮な場面は無く、京都らしい穏やかな祭りである。


自分が京都を離れて、数十年経つが、祇園祭が近づくといつも血が騒いだ。それぞれに、故郷のお祭りに想いをはせる心根は、よくわかる気がする。

歴史の長さや規模の大きさ、あるいは人気度などの能書きからでなく、小さいときから観て・聞いて・感じてきた血潮や肌感覚が、呼び起こされるのだろう。

京都の祇園祭は「町衆」が過去も今も、支えてきたと聞く。
いけない・いけない。
先人の苦労や努力をついつい、忘れてしまっている。

♪ コンコンチクチク コンチクショウ ♪
おいらは町の忘れん坊。

自分も、現代の町衆であるな。何かを伝えて、何かを残して、何かを創っていく仕事があるな。無理はせず、自然体でいけるかな?
  (syuji)


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2010年06月07日

去り逝きし人々

人は誕生と同時に大きな泣き声をあげ、病室の廊下などで待つ家族に朗報をしらせるのは、映画やドラマにもよくある場面ですね。

それ以来なのかしりませんが、人生にとって涙は重要な一部であるような気がします。嬉しかったり・悲しかったり・感動したり。

もしこのような体験が無かったとしたら、多分鈍感な感性のままで、一生を送ることになるのでしょうね。

感情の深い谷間を行き来することによって、人は成長していくようです。

私もつらい別れは、何度となく経験してきました。肉親や親友の死、まるで自分の血肉を切り取られるような感じがした事もありました。

そういう身近な人たちとの別れは、当然ながらつらいものですが、身近ではなく,
人生の短い時間で「すれ違った」と言った方が妥当な巡り会いのなかで、忘れられない・或いは忘れたくない別れも体験しました。

神達彩花さん(2006年5月逝去、享年1歳4カ月)
  アメリカで 多臓器移植手術を受けたが、感染による敗血症で死亡されました。
  私はこの子供さんとは会ったことはありません。
  ただ、募金が必要な時に少しだけ呼びかけをさせて頂いた
  体験があるだけです。自分の想いのなかには、「このような幼
  い人の死を、決して忘れてはならない」という気持ちが有るだ
  けです。せめて生きていたことを知る証人の一人でありたいという想いです。
 多分、私の生涯の間は、彼女の名を忘れることはなさそうです。
 (そしていまも世界では大勢の幼い命を失っているのですね。)

山田 泉さん(2009年11月逝去、享年49歳)
   乳がんの再発で亡くなられました。この方は生前、『命の授業』で、テレビ出演されて居られたので、ご記憶の方も多いでしょう。大分の方ですが、名古屋での講演会で、前向きに生きて居られるお姿にとても感銘を受けました。

余語淑子さん(2010年5月逝去、享年44歳)
   名古屋の「みその亭」という料理屋さんの女将でしたが、
   つい先日、やはりがんで亡くなられました。新聞にも
   かなり大きく取り上げられていました。
   この方も「余命半年」の宣告をうけながら、ひたむきに
   頑張っておられたようです。私は3度ほど客としてお目にかかりました。

先の山田さんや余語さんはどちらも、迫りくる死と闘いながら、 他人のために、自らの考えをつたえ、又その生きざまを身をもっ て示しておられたようです。

私が同じ境遇になったとしたら、どうするか。
多分、旅行しまくりーの・飲んだくれーの・・、碌なことはしない
でしょう。でもチョッピリは、努力宣言を今回しておこうかな。

ぜひ申しあげておきたいのは、前述の3人の方のことを知り得たりできたのは、例外なく、それぞれに「心のアンテナ」をお持ちの
方々のお知らせ・メール・ご紹介によるものです。

お陰さまで、心が少しは洗われました。そして少しずつ行動に移す
ことも覚えましたね。

世間には、年齢や職業に関係なく、色々な素晴らしい方が居られますね。(それなりの方もおられますが・・。オッと、私は外しておいて下さいね。)
希望を持って、これからもやるとしよう。
  (syuji)  




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2010年04月20日

『三屋清左衛門残日録』ー藤沢周平著

表題の本を始め、藤沢作品を何度読み返したことか。

いつも清々しい読後感につつまれるのと、目標とする生き方を
おだやかに示してくれる感じがして、ついつい本棚に手が伸びる。

そして、新しく気がつくフレーズに出会うこともある。

今日も通勤電車のなかで、『三屋清左衛門残日録』をここ数日来
読み続けていた。電車

この作品も、市中の評価が高い。

城勤めを御小納戸役見習から始めて、藩主の用人にまで累進して、
ついに「隠居」した老境の武士の物語である。

その最終章『早春の光』に次の1節。

" 人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終えればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽して生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。”

人生訓談義からではなく、老いた病める平八の「歩かんとする姿」に、
清左衛門は教えられたのだ。

私のフレーズ「人生は、いつもこれから」はいささか教訓臭いが、
伝えたいことは、似ている気がする。エヘン!

皆さん、『三屋清左衛門残日録』いいよー。読ませる小説、
人生がいとおしくなってくるね。


さわやかな青春老人でありたいものだ。だが、生臭さも当分ぬけないだろうな。
わーい(嬉しい顔)ちっ(怒った顔)ビールがく〜(落胆した顔)もうやだ〜(悲しい顔)ふらふら
   (syuji)





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2010年04月06日

エリザベス・サンダース・ホーム

つい一昨日、民放TVで「エリザベス・サンダース・ホーム」の
創始者である澤田美喜さんのことを1時間にわたり、放映していた。

まさに感動と驚きの時間であった。

いまの若い人たち・若くないひとたちですら、名前を知らない人が
圧倒的でしよう。

少し、以下に説明を引用しよう。

『 澤田美喜の生涯 −サンダース・ホームへの道− 』

 澤田美喜さんは1901年三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫として、東京の本郷に生まれました。22才の時、外交官の澤田廉三さんと結婚し、海外各地で華やかに過ごしてきましたが、ロンドンに滞在した時、「ドクター・バナードス・ホーム」施設を見学して、孤児救済活動に目覚め、心の目を開かれて行ったのです。

 その後、澤田さん一家は帰国し、終戦を迎えました。アメリカ軍が進駐し、多くの孤児が生まれ、捨てられるような状況になってきました。そんなある日、澤田さんが汽車に乗っていた時、突然、網棚から紙に包まれた嬰児の死体が膝の上に落ちてきました。澤田さんは大きなショックを受け、この事が孤児の救済に生涯を賭ける契機となったのです。

 澤田さんは先ず、孤児たちの施設を作る為に、岩崎家が国に物納した大磯の別荘を司令部に掛け合い、当時では大金の400万円で買い戻しました。戦後の財閥解体で岩崎家といえども財産は乏しく、自分の持ち物を処分したり、多くの人たちから膨大な借金をしたり、そのほか寄付を集めたりしてお金を作ったのです。そして、最初に寄付をしてくれた英国人女性、エリザベス・サンダースの名にちなみ、1948年に「エリザベスサンダーズ・ホーム」を創立しました。

 戦後間もない日本においては、孤児たちに対する謂れのない偏見や差別には極めて厳しいものがあり、澤田さんや孤児たちが外出すると、罵声を浴びたり、心ない中傷や批難が相次ぎました。しかし、そんな中にあっても、澤田さんは悲しみや優しさ、そして深い愛情をもって孤児たちを守り、並はずれた情熱と強い意思を持って困難に立ち向かい、このホームで述べ2,000人以上の孤児たちを育てたのです。

 1980年78才で澤田さんはスペインのマジョルカ島で帰らぬ人となりましたが、生前、澤田さんはこう言っています。

「私の旅……それは、この子どもたちのために、誰からも何も言われない国、いやな見つめる目のない国、そして、大手を振って歩ける国を求めて歩く……これが私の旅になりました」

  資料名:「黒い肌と白い心」(澤田美喜 著)
  「現代日本 朝日人物辞典」(朝日新聞社)  以上で引用終り

テレビでは、1400人の孤児を育てたともいい、他の文献では2000人とも言っています。

テレビに出演していた卒園者(いずれも60歳以上の混血)達は
異口同音に、「私の母は澤田美喜です。彼女がいなかったら、生きていなかったかもしれない。」と話していました。

身を削り・少しの財産も削っていく献身的かつ、体当たりの真剣人生は、感動の物語でした。
かずかずのエピソードが、事実の重さ・偉大さを伝えてくれました。

勿論彼女一人でなしえた訳ではないでしょう。いろんな支援者も
居られたと思います。

しかし彼女がいたからこそ、人は支援したのでしょう。
彼女の情熱とヒューマニズムが、人を動かしたに違いありません。

最近の世相は、自分の子供の育児放棄のみならず、殺害事件ですら
よく報道されていますね。

私だって、自分の子供を育てるだけで、それ以上の気持ちは無かったです。

彼女がいた時代は、物が無く・金が無く・今よりうんと苦しい時代でした。
それだけに「凄い」の一語につきます。

この澤田美喜さん以外にも、たとえば宮城まり子さんや杉原千畝さんなどなど、それぞれの分野で、崇高な精神と業績の方々がおられるのは、本当に素晴らしい。

ほかにも無名の方々が居られることでしょう。
少しでも爪の垢を煎じてみれるか、自分の旅をどう描いていくか・・・。
それが私たちにとっての課題のような気がします。
  (syuji)
















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2010年03月25日

年令と年輪

最近、『年令と年輪』について感じる機会が増えてきたようだ。

壮年期や熟年期に達すると、年令の話をされる方が多いせいじゃないかな。交友関係も、同年齢の方が多いからね。
いやそれよりも、やはり自分でも気にしているからだろうね。

例えていえば、『年令は、人命の距離計』であり、『年輪は、人生の深度計』ということになるか。

年令はほっておいても、加算していく。年輪は、そうは行かない。
年令の伝承は、せいぜいDNAでどうか、といった程度の域を脱しないだろうな。

年輪は、違う。努力していかないと、なぞっているだけで、深まらない。深まれば、家族にとどまらず、友人・知人・社会と無限の広がりがあるかもしれない。

池に小石が落ちて、波紋がゆっくりと広がっていくシーンか。

しかも、死後ですらその影響を持続するかもしれないな。

この意味では、『年令は有限で、年輪は無限』かも知れない。
だから体力的な衰えを気にするよりも、向上心をなくする方が
恐ろしいとおもうがく〜(落胆した顔)

年輪を感じさせる人って、とても魅力的だな。
地味ではなくて、自然と滋味がわきでてくる。
カッコいいな。

物事に、軽挙妄動しないな。じっくり考えてるなあ。
智恵があるようだ。

目標は、やはり 『年輪を感じてもらえる人間』 かなあ。

ああ、道遠し。
されど、それも発展余力と考えるか。
    (syuji)






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2010年03月12日

好きな言葉

人には誰だって好きな言葉の一つや二つはありそうだ。

私の場合は、このパティオ伏見を創設以来、チラシなどの広告物に
よく使っている言葉に『人生は いつもこれから』というフレーズ
がある。

文句なしにお気に入りである。

過去の失敗だけでなく、成功や業績などですら、もはや過去の遺物
でしかない。参考にすることは必要であるが、とらわれては不可。
この世を去る寸前まで、「いつもこれから」をめざしたいな。

昔の自慢話は、聞くのは特にあほらしいとおもうが、自分がする自慢話は、気持ちがよいだけに、気がつかないものだ。
あぶない、あぶない。

苦悩はあまり他人に漏らすことは少ないだろうが、同じように
いつまでも苦しむのは、やめにしたほうがよい。

そんなことよりも、これからどうするか。格闘しているだけで
道が開けてくることが多かったな。

「虎穴にいらずんば・・」とか、「自家薬籠中・・」とか、
いろいろなフレーズがあるが、私が体験するにそれは、
格闘すればこそ、心技体が渾然一体となる時がうまれ、目の前が
思い切り開けてくるのではないだろうか。

よくは知らないが、禅とも通じているのかな。

無心に没頭するのは、むずかしいな。でも没頭していれば、無心に
なれそうではある。
とにかくやってみることかな。
   (syuji)





posted by okumura at 20:44 | TrackBack(0) | 心の響き

2010年03月01日

バンクーバーオリンピック雑感。

スキーオリンピックもいよいよ終わろうとしています。

必死で努力し・鍛錬を重ねたアスリート達の「祭典」として、
ハラハラ・ドキドキ・感動もした。

その中で、失敗もあり、涙もある。勝つものもあれば、負ける者
もある。最後に勝つものは、一人でしかない。

選手達がよく言っているが、「自己ベストの更新」。「納得のいく結果」。これこそ、重要な事柄ではないかな。

メダルは結果でしかない。周りのものが、性急にメダルを求めるのは、やめたいな。いわゆる品格がなかろう。

競技人生がもう残り少ない選手が、端的にメダルを求めるのは、ある程度理解は出来るけど。

多額の賞金ふくろで選手達を釣るのは止めたほうがいいね。
 (syuji)


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2010年02月06日

朝青龍、モンゴルの風!

朝青龍がとうとう引退を表明しましたね。

彼の悪かった点をいえば、
 1.日本相撲における「横綱」のあり方と、それに寄せるファン   の期待の深さを、殆ど理解していなかった。
   もしくは理解の必要性を認めていなかった。
 2.もともと性格的に強引で横着な一面があったようだ。
 3.推測であるが、「出稼ぎ」の発想で、いずれはモンゴルに
   帰るつもりであったのではないか。それが、いろいろな面で   トラブルの遠因になったのではないか。
などほかにも列挙できそうです。

一方で、彼の良かった点をいえば、
 1.格闘家としてのセンス、負けじ魂がすごい。
 2.あの大きくない体で努力を重ね、素晴らしい戦績を残した。
   (下ずみのころ、よく稽古したと聞く。) 
 3.一人横綱として、ながい間にわたって大相撲を支えた。
 4.明るい性格で、TVやマスコミへの露出度が高かった。
   従って交友関係もひろい。

誰しも功罪半ばするのは人の常ですが、プラスマイナスすると
彼の貢献度・プラス面は途方もなく大きかったと思いますよ。

なまじ横綱になったがために、日本相撲における横綱の権威を
傷つけてしまいました。ながく「最強の力士」ではありましたが、日本の「横綱」ではなかったですね。

もともと外国人ですから、指導すべき立場の親方の責任は重いですよ。高校生ぐらいのときから、いっしょにいるんでしょ。
相撲協会だって、無罪ではないでしょう。

朝青龍のような立派な業績を残した力士を、あのような結果に終わらしたのは、とても残念です。

私が理事であったら、あの段階ではやはり「引退」にもっていったと思います。でも今までに、打つ手はあった筈ですね。
そこが一番の問題のような気がします。

国・地方・地域、それぞれの風土や気候・気性・慣習があって、
結構違うものですね。
TVの「秘密の県民ショー」を見ていても、結構違います。

日本にも日本の風があり、モンゴルにはモンゴルの風があります。
それぞれの融和に心を配ることが、お互いに大事なんでしょうか。

「自分たちに都合がいいようにだけ利用する」なんてことは
やめましょう。外国人力士を認めているんですからね。
   (syuji)






 
posted by okumura at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の響き

2010年01月29日

ジャックナイフ

千原兄弟っていう芸人をご存知の方が随分と増えてきたようです。
もちろん、今回の主題は、弟の「ジュニア」ですスペード

兄貴の「せいじ」もなかなかのもんですが、やはり兄貴は弟には
かなわないもんですがく〜(落胆した顔)。(ちなみに私も次男です!)

このジュニアって男は、鋭い時代感覚と歯切れの良いしゃべりで
全国区の芸人になる勢いがありそうグッド(上向き矢印)

より若いころ、関西芸人の間では、カリスマ的存在だったというのは、本当に何度も聞いた話です。その鋭さからか、ジャックナイフとも呼ばれていたらしい。

それに比べりゃ私なんか、青年時代から「錆びたナイフ」と呼ばれていた(かもしれない)。確かに今ではカラオケの自分の持ち歌にまで成っています。(くどい解説=元歌は石原裕次郎)

しかし、このジャックナイフ、失礼!ジュニアさんも丸くなって
こられたような気がします。
鈍感力って大事なのは、本当のような気がしますね。

世の中の苦労って、たくさんの種類もあるし、時期によっていろいろです。美しい花々だって一緒ですね。

苦労の当事者は、その時は分からないことも多いですね。
でも、「それが何ぼのもんじゃい!」と思った時から、姿が
変わってきましたね。

自分では気がつかない「華」が咲いている気がします。
一喜一憂は人の常ですが、そんな時は、多分足元を見れば良いような体験をしています。

それが自分の原点ですね。体の健康においても、心においても。
足元をみることは、とても簡単で、まったく不安はない筈です。
それでも心配だったら、友達を見つけることだと思います。

待っていてはだめですね。他人にたのむ勇気が必要でした。


えらそうなことをいって、「謝ればいいんでしょ!」ふらふらどんっ(衝撃)目晴れ
(syuji)












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2010年01月28日

風雲!姫路城

P1020201.JPG
昨年末、といっても先月だけど、夫婦で姫路城を訪れた車(セダン)

今年4月より本格的な大修理に入り、それから約5年間はあの流麗な全景を見ることができないので、思い立ったというわけ。

雨の予報を懸念していたが、国宝であり・世界遺産でもある姫路城は、快晴の中で私達を迎えてくれた。

まさに掛け値なしにすばらしい「お城」であった。

私は、白鷺のような美麗な姿によりも、まさに建立時の姿そのままに保存されていることに、大きな感銘をうけた。
いわば「戦うための美術品」として、そびえていた。

P1020220.JPG
過去に私は数多くの城を歩いてきたが、突出した存在感に出くわしたのだ。
天災・戦災・人災をまぬがれた、過去の叡智のサンプルとして。
そして今、現在の人智が、未来に向けて蠢動するのだ。

どういう点が良かったか。これから訪問される方のために、
あえて詳述は避けておこう。

ただ一言。必見の価値あり。
 (syuji)
posted by okumura at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の響き

2010年01月15日

ピンチはチャンス。チャンスはピンチ。

今まで、このように感じることは、とても多かったように思う。
自分の事は中々わからないが、他の人を見ていると、そう思える機会がよくある。

 著名人の成功談のなかにも、不遇時の努力が実を結んだ事例が多い。逆に、著名であるがゆえに、あるいは権力者や高収入であるがゆえに、自己中心になってしまい、とんでもないことをしでかす人も数知れないようだ。

 パティオ伏見のお客として、以前に或る超アイドルグループの一員だった方が、友の会メンバーとのトークショーに来られたことがあった。

たまたま準備が遅れがちであったが、その方はスタッフよりも必死で、率先して作業に従事していた。入り口前で待っている人たちに対しても、「すみません。もう少しお待ち下さい。」などと丁寧にお詫びをされていた。終止、謙虚な態度が素晴らしかった。

過去の栄光の時がどうであったかはしらないが、驕りの中にはまる
危険性は大であったに違いない。
今ある姿は、親や家族・知人、プロダクションの方々などの影響も
大であろうが、なにより本人の自覚と努力の賜物だと思う。

再びスターとしての花が開くかはわからないが、いぶし銀のように
人生の華は咲いていくだろう。
人の価値は青春期だけではない。人生を通して足し算していくもの
のように思う。

収入や地位や名誉は「まったく無意味なもの」ではないが、同時に
「人を失敗に追い込む魔物」でもある。それだけではしょせん空洞のようなものではないだろうか。

さて今の私は、ピンチなのか、チャンスなのか。
 (syuji)



posted by okumura at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の響き