2012年11月08日

人生に定年はない

先月10月20日、学校の同窓会有志の旅行会で、北陸の永平寺と朝倉氏遺跡を訪れました。バス
日帰り旅行です。天候にも恵まれ、サロンバスで時にお酒を嗜みながらの、たのしい旅路でしたね。ビール

永平寺は久しぶりではありますが、もう5度以上は行きました。
厳しい修行の地ですから、随所でその一端を眺めることもあります。
でも年末に、NHKの『いく年くる年』でよく見る冬の厳しさには程遠い時季なので
気も服装も楽にできるのは、私達一般人には嬉しい季節です。

朝倉氏遺跡は初めての見学でしたが、規模も大きく、復元家屋群も有って、往時をヴィジアルにしのばせるものが有りました。
ガイド(有料)の方の説明も熱心で、うまかったですね。
価値ある遺跡でした。

永平寺で買った冊子『道元禅師からのメッセージ』に、こんなことが書いてありました。

『人生に定年はありません。老後も余生もないのです。
 死を迎えるその一瞬までは人生の現役です。
 人生の現役とは自らの人生を 悔いなく生き切るひとのことです。』

こんな文章も目につきました。

『生まれて死ぬ一度の人生をどういきるか。それが仏法の根本問題です。
 長生きをすることが幸せでしょうか。そうでもありません。
 短命で死ぬのが不幸でしょうか。そうでもありません。
 問題はどう生きるかなのです。』


『ひとの価値は、地位・財産・職業に関係有りません。
 知識・能力だけで 人を評価すると 過ちを招きます。
 知識を生かす心と行いこそ大切です。
 ひとの価値は心と行いから生ずるのです。』


私は仏教徒でもないし、深遠な意味を理解できる能力も有りません。
ただ、普通に読んでみて、とても勉強になりましたね。

ひょっとしたら
「過去とは関係なく、今を・これからをどういう心構えでいきていくか」
これが肝心だということでしょうか。

聖人君子でもない私は、とてもとてもいつも努力・緊張・克己心に満ちていることはできません。
折に触れ、思い起こすことで自分を洗い直し、できたら少しは高められれば、グッドでしょう。

脳の海馬は今なお新しい細胞を生み出していると聞きます。
こちとらも、明日に向かって歩き続けたいものです。

一歩下がっても二歩進むのが青春期・成人期であるとすれば、老年期は下がりっぱなしと
考えがちかもしれません。そんなことはないように思いますね。

人命は有限であっても、経験の深さ・精神の余裕・人脈の広さなどなど、可能性は無限です。
課題や目標は、まだまだ目前に控えているようにみえます。
「いつまでこう言っていられるか」かもしれませんが、「いつまでもこう言えていたい」と
思っています。
      (syuji)


posted by okumura at 02:54 | TrackBack(0) | 心の響き
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