2011年10月14日

『青春わすれもの』

私の好きな作家のひとりに、「池波正太郎」さんがおられます。

その作品の中でも好きなものは、何度となく読んでいます。しかし読み方が浅いのか、それとも忘れやすいのか、あるいは自分の志向が変化していて、そのために感動する箇所がかわるのか、読むたびにあたらしい印象を得ることができるのは、とても楽しいものです。

最近に再読した『青春わすれもの』の中の一節、お伝えしたい部分をご紹介したいと思います。

昭和13年の春、池波正太郎さんが16歳の時のこと。
彼は東京日本橋の三越によく出かけていた。三越ホールの2階席がよく無料開放されており、その見物に出かけることがよくあった。

そしてこの三越で、生涯忘れえぬ人物に出会う。歌舞伎俳優で15代目の市村羽左衛門である。

なんどか見かけたのちのある日、展覧会場をまわっている羽左衛門氏をみたとき、池波少年は衝動的に万年筆と
手帳をだし、羽左氏の前に進み、「急場のことで、まことに失礼ですが、この手帳へサインをしていただけないでしょうか。
私は、あなたのファンであります」といった。

すると当時、65,6歳の羽左氏は(ほほう・・・)というような顔つきで、詰襟服の池波少年の顔をうちながめ、
「そりゃあ、どうも・・・毎度ごひいきに」さわやかにいってのけるや、かるく頭を下げた。

いささかも少年の彼を軽んずることのない、その態度に、池波少年は興奮するやら冷や汗をかくやら、
手がぶるぶるとふるえはじめたらしい。
「おねがい、します」

「いいけど・・」とちょいとくびをかしげ、
「明後日のいまごろ、ここへ来られる?」
「はっ・・・」
「もしこられるんなら、ちゃんと色紙へ書いたのをさしあげよう」
「き、き、来ます!!」
「じゃ、そのとき」

さて、当日。約束の時刻に、羽左氏があらわれた。
「や、お待ちどお」
羽左氏は、紅梅の一枝を淡彩でえがき、これに{ 羽 }の一字と朱印は{ 十五世 }としたためた色紙を池波少年に渡された。

「どうもありがとうございます。一生の宝にします」
池波少年の眼から、熱いものがふきこぼれてきた。

色紙をもらったうれしさのみではなく、天下の大名優として自他共にゆるしている氏が、みもしらぬ小僧との約束をきちんと守られた、その律儀な、美しい人柄に感動したのである。

このときの感動は有形無形に、現在の池波正太郎氏に尾をひいていて、ともすればゆるみがちになる自分の心を
ひきしめてくれている、とも書いておられる。

「じゃあ、さよなら」と、羽左氏はにっこりとし、色紙のほかに歌舞伎座の一等入場券をそえて渡し、
「これからも、ごひいきに」というや、颯爽と去って行かれたという。

以上の話に、私もとても感動しました。
この逸話のなかには、いくつかの教訓があります。

池波少年の不断の研究熱心さ、礼儀正しさなども感心するほどですが、ここでは「市村羽左衛門丈のあり方」に
素晴らしいものを、感じました。
たしかに、人気商売ですが、それをこえた人間の偉さ・確かさを痛感させてくれました。

私なんか、普段から偉くもないのに、偉そうな態度をとったりしがちです。
あるいはついつい、などと弁解しがちな感情に溺れることが多いですね。

先人のすばらしい行動や心根にふれると、素直にこころが洗われるようです。
また明日から汚れていくのが凡人の宿命ですが、せめて洗濯は何度も繰り返すようにこころがけますよ。
      (syuji)















posted by okumura at 20:33 | TrackBack(0) | 心の響き
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